田村歯科
 
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歯科医師からの警告・報告(3)

世紀末をむかえてどう生きるか?

(この原稿は1999年に執筆し同年の雑誌に掲載されました。)

 

世紀末とは何だろう?

 西暦2000年まであと残すところわずか。
20世紀もあと少しで幕を閉じようとしている。この世紀末の今、巷では「世紀末思想」が流行している。

 かつて19世紀の末にも、同様に世紀末思想が流行し、新しい世紀をむかえる前に世の中が大きな洗礼を受けると考える人が多かったという。
  100年前の、「1800」が「1900」に変わる時にも世紀末不安論が出回ったのだから、「1900」が「2000」に変わる今回の方がはるかに大きな変化が起きそうな気がする。

 たしかに身の回りをみれば世は平成の大不況。日本ばかりか世界同時大不況とも思えてくる。
  さらに不安感をかりたてるような事件も次から次へと起きている。環境問題ももう待ったなしの状態である。
  ダイオキシンにしても環境ホルモンにしても、世の中は毒物でいっぱいである。

  気象もこのごろおかしい。
  地震もいやに活発に起きている。
  火山の大噴火がいっせいにありそうな気配だ。
  そういえばノストラダムスの大予言というのがあった。

 1999年の7月に天から大王が降りてきて、何か大変な事が起きるといったような内容だったと思う。
  世界にはいろいろの予言書があるようで、くしくも似たような内容があちらこちらであるらしい。

 こうした予言の内容や実際の世の中の事を合わせて考えてみると、どうやら2000年あたりを境に、人類の大転換期がありそうな気がする。いや何か起きるにちがいないという気持ちになってくる。

霊的考え方にかたよらないこと

 玄米どっぶりだった頃の私は、肉とか添加物などを、身を汚す毒のように考えていた。常日頃から半断食のような食事を理想としていたし、実際に半断食を実践していた。

 そのおかげで、まさに疲れ知らずだったし、なにより霊感がとても鋭くなり、歯科医院に来る患者さんの悪いところ、口の中だけでなく胃とか腎臓などの状態までもが、会っただけでわかってしまう。
  そして患者さんの痛いところに手をかざすだけで、痛みが消えてしまうこともあった。

 瞑想をすれば、何か光のエネルギーのようなものを感ずることが多かったし、自分からもそうしたエネルギーを求めていた。
  私のような人間でも、このように見えない物を感じとれるのだから、著名な霊能力者が未来を予言したりするのは、なにも不思議であるとは思えなかった。

 世紀末の大洗礼も間違いなく起こるだろうと信じていたし、そのためにも自分の生き方を正し、食を正し、霊性というか霊格というか、なにか少しでも神に近づくのが正しいことに思え、そうすることが大世紀末に向けての自分の使命のように感じていた。

 そんな私だったが、自分自身はどうも宗教というのが苦手で、生まれてからずっと無宗教できている。しかし私の友人には、不思議なぐらい熱心な宗教活動家が多かった。

 友人としては良い奴なのだが、熱心な活動家になればなるほど、つきあいにくく変な奴になるのが悲しかった。
  しかし、ふと気がつくと、自分が変な宗教活動家とまったく同じになっていることに気づいた。

 霊格とか霊性にこだわっている自分と、それを冷ややかにさめた目で見ている自分。二人の自分が心の中で目を合わせた。その瞬間私はほとんどためらいなく「変な人」は「変だ」と気がついたのだ。
  霊格を気にする”私”は、心の片隅に小さく身をひそめてしまったのだ。

 

天から大王は降りてくるのか

 結論から言えば、未来のことは誰もわからない。神様だけは知っているのだろうが、ノストラダムスは神様ではない、人間だった。
  霊感の鋭い人、予知能力のある人などもいて、神様の一部とコンタクトできるのかもしれないが、しょせん彼らは人間であり完璧ではない。そもそも人間ごときが未来のことを知ってワーワー騒ぐこと自体、自然の摂理に反している。

  そして最も大切なことは…
  未来は決して決まっていない。
  これからつくられるのである。

 世の常識人が聞いたら当たり前すぎてバカバカしいほどかもしれないが、実は何よりも重要なことなのだ。

 

「自分だけは助かりたい」はいやしい

 新興宗教が往々にして勧誘に使う手だ。
  「これをやっていればハルマゲドンが生き抜けられる」とか…。
  「この会場に来ている人は生き抜く切符を手に入れた」とか…。
  話をしている人は本当にそう思っているかもしれないし、もしかしたらひょっとして本当かもしれない。

 でもこうした選民思想(自分達だけは選ばれた民で特別だという考え)はあまり優れた考え方ではないように思う。普遍的な考え方ではないし、なにか変だ。変な物はやっぱり変で、真理ではないことが多い。

食養の実践で多難な時代を生き抜けるか?
  客観的な事実として、

◎肉を食わない…1kgの肉(牛)をつくるために五kgの穀物をエサとして消費しなければならない。肉を食べないことは地球の資源の節約になる。

◎肉を食わない…性格がおっとりしてくる。争いごとが減ることが期待される。

◎手作り料理が多くなる…家族の触れ合いが多くなる。すさんだ心の子供が減る。

◎病気が減ります…肉体面の健康度が増します。ただし心の健康度はまた別の問題です。

◎大王が降りてきても生きのびれるか…それは純粋にその人自身の問題です。食養は問題解決法ではなく問題解決のヒントなのです。

 

真の癒しを求めて生きる

 私達は生きていくうえでさまざまな障害や苦難を乗り越えていかなければならない。
  そのなかで体の不調や病気は、誰もが経験する試練の一つだ。
  現代医学では、病気の原因を病原菌や体の臓器の異常にあると考え、それらの病原菌や臓器の異常部を取り除こうと考える。

 もちろんそれはそれで病気治しのひとつの手段だが、多くの場合、病気の本質的原因はその人の生き方や生活の仕方にあることがほとんどだ。
  もちろん生まれながらにして遺伝的に病気を背負っている人もおり、必ずしも本人だけの問題でないことも多いが、その病気に対しどのように対応するかはその人の生き方によるところが大きい。

 虫歯一つを例にとってもそうである。
  虫歯は砂糖と歯磨きと歯の強さの3つの要素で決まると大学では教える(『マクロビオテック』平成10年2月号「虫歯の原因と予防」にも書いた)。
  たしかに歯というものはそういう要素の影響を受ける。

 しかし「口」の健康度はたった3つの要素だけでは決して決まらない。
  あんまり歯磨きをしなくても虫歯にならない人がいる。逆にものすごく歯のことを気にし、気をつけているにもかかわらず、口の中がガタガタの人もいる。

 これらは単に歯の質が強いかどうかだけの差とは思えない。
  さらにもっと言及すれば、ほとんど虫歯もなく口の中になんの問題もないにもかかわらず、首や顎の強い痛みを苦にし、食事をまったく楽しめない人もいる。

 逆に自分の歯はほとんどなく、さらにあまり合いの良くない入れ歯を使いながらも、あっけらかんと食事を楽しめる人もいる。
  私達の健康度や生き方は決して人と比較して良い悪いというべきものではない。
  その人の健康度の背景となる生活習慣や生き方、さらに人生観などは、人から説教されたり、ましてや「こうあるべきだ」などと思い込んでかかるのは良くない。もちろん反社会的な考え方などは論外であるが、社会と協調できる生き方ならば、その人が自己の本質を見つめる時、その人の人生と同調して本来の生き方が現れてくるものと考える。

 本来80歳までもつべき歯を60歳でダメにするのは、本人の怠慢であり、天からいただいた体を粗末にしていることになる。
  本来40歳までしかもたない歯を50歳までもたせたならそれは素晴らしいことで、まさに祝福されるべき事である。

 大切なことは、天から与えられた自分の肉体と心、そしてその生涯というものをあるがままに受け入れ、その持っている力を精一杯発揮することが、各人の与えられた唯一の、最大の責任なのだ。

 西暦2000年前後に起こるといわれる大洗礼は、それを恐れ、苦にする人の心のなかではもうすでに始まっているわけだ。それを苦にし、恐れる心のエネルギーは、その人数が多くなれば必ず具現化してくる。

 また現代の経済至上主義の奴隷のような生き方をしていれば、これもまた地球の破滅に向けてまっしぐらである。私達が今ここでやるべき事は、決してむきにならず、あせらず、自分の命とその尊さに気づき、あるがままに生きること。
  競争社会で一生懸命走ってきた足を少しゆるめて、自分のペースで歩くこと。
  天からいただいた自分の肉体そして生命を大切にすること。
  病気とか体のことで悩む時、安易に即物的短絡的に考えず、体の本質的なエネルギーに目を向け、自然の摂理と調和する解決法を探すこと。
  強い刺激に慣れてバカになっている私達の感覚を正常化し、素朴で質素なものの素晴らしさを知ること。
  ファーストフードの刺激的な味でなく、家で炊くお米の旨さを知ること。
  生きるということは、実は素朴で質素なことだと知ること。

 この大自然のごくごく小さい構成要素の一つである私達人間は、自分の分を越え、生命とは何かをすっかり忘れてきたのです。
  生命とは自然と調和し決して無理せず存在する物なのです。

 あるがままの自分を受け入れ、その上でその人の叡智をもってその生命を輝かせることが、世の中がどうなろうとも最も必要な事なのです。

 

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